「タイタニックのクルーたち(chie's Titanic Officers)」豪華客船タイタニック(Titanic)の歴史、史実、乗組員、クルー、航海士(特にマードック航海士)機関士・設計士・通信士を紹介。自殺の謎、映画の中の航海士、コレクションなど。by智恵-ちえ-
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  謎2;証言と諸説      

 

◆謎2;証言と諸説◆

 

[一覧]

1:チャールズ・ライトラー二等航海士の手紙<マードック否定説
2:ハロルド・ブライド二等通信士の目撃証言<マードック否定説
3:一等船客ヒュー・ウェルナーの、発砲に関する証言<発砲に関する証言
4:一等船客ジャック・セイヤーの、発砲に関する証言<発砲に関する証言
5:三等船客ユージン・ダリーの手紙<自殺に関する記述
6:一等船客ジョージ・レイムスの手紙<自殺に関する記述
7:一等客室係り エドワード・ブラウンの証言<最後のボートA号に関する証言
8:研究者ジョージ・ベーエによるマードック説
9:研究者ジェフ・ウィットフィールドによるワイルド説
10:厨房補佐ジョン・コリンズによる航海士(ワイルド?)説[new]

◆:参考;マードックとワイルド
◆:参考;救命ボート(担当と発進時間)

 

 

 

1:チャールズ・ライトラー二等航海士の手紙<マードック否定説>

「ホテル・コンチネンタル
ワシントン
1912年4月24日

親愛なるマードック夫人

私は生還した航海士を代表して、あまりに大きなものを失ってしまったこの深い悲しみに、お悔やみを申し上げたいと思います。我々のこの気持ちも、言葉で言い表す事ができません。
私は又、新聞で広められた記事に対する反論ついて述べたく、この連絡が遅れた事を深くお詫びします。
私はミスター・マードックを見た事実上最後の男で、明らかに最後の士官であります。彼は折畳み式ボートを発進させようとしていました。私は航海士用船室の屋根にあるもう一つのボートを担当しました。私が左舷側でミスター・マードックは右舷側で作業を進め、乗客を誘導しボートを発進させていたのです。
私はボートを航海士用船室の屋根から降ろした時、もう時間がなく、一旦右舷側にまわって見ました。私は確かに見おろす形でミスター・マードックと彼の部下を見ました。彼は依然としてボートの着水準備の為にボートにからまったロープをはずそうと忙しく作業を進めていました。この最後の瞬間、船は浸水し始めて我々は皆海水に流されたのです。
その他の記事による”最期”は絶対に間違いです。ミスター・マードックは最後の瞬間まで彼の職務を遂行し、亡くなりました。
もし他に、我々がお力になれる事がありましたら、どうぞご遠慮なくお申し出下さい。

 

親愛なる
C.H.ライトラー、二等航海士;
G.グローブス・ボックスホール、四等航海士;
H.J.ピットマン、三等航海士;
H.G.ロウ、五等航海士;」

 

ライトラーはひっくり返った折畳み式B号にて救助を待ち、生還。
ライトラーはマードックのことをよく知っていたから、誰かと見間違えることはありえない。
ライトラーからのこの手紙(生還したすべての航海士たちの署名入り)を受けたった妻エイダは、 これを’Dumfries & Galloway Stadard & Advertiser’誌に送り、5月11日に掲載された。
[参考;マードックの生涯]
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2:ハロルド・ブライド二等通信士の目撃証言<マードック否定説>

@1954年、生還したハロルド・ブライド二等通信士は、海洋歴史学者アーネスト・ロビンソンに、船が不意に浸水しはじめた時マードックのすぐ側に居た、と語った。
彼はこの時右舷のマードックらのグループの側にいて、最後の折畳み式ボートを発進させようとしていたという。折り畳み式ボートは航海士用船室の屋根の上にくくりつけられていて、「屋根に登ってB号の発進を手伝った」事から、彼は屋根の上で目撃したと思われる。

Aブライドはひっくり返った折畳み式B号にて救助を待ち、生還。
この証言はライトラーの手紙による証言と一致する。
ブライドはとても正直な証言者である。彼は無線室で一等通信士フィリップと最後の仕事をしている時に、一人の火夫がこっそりやってきて、彼らが自分たちの為に確保しておいた救命衣を盗もうとした。そこでブライドと乱闘になり、彼は火夫を殴りつけ、火夫は動かなくり命まで奪った可能性もあると、アメリカ及びイギリスの査問会で証言している。

以上@Aにより、自分に不利なことをも証言したブライドが語った上記の証言の信憑性は高く、イギリスタイタニック協会のリチャード・エドキンスらは、「マードックではありあない」としている。
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3:一等船客ヒュー・ウェルナーの、発砲に関する証言<発砲に関する証言>

 

ウェルナーの、救助後カルパチアの船上で書いた手紙(およびアメリカの査問会)による証言。
救命ボートの着水準備を手伝っていた彼は、右舷側でマードック一等航海士がピストルを2回「空に向けて」発射して、折畳み式ボートC号に群がる男たちを追い払ったのを見た。ウェルナーは、マードックを手伝ってC号に女性客を乗せて、 C号にはイズメイも乗っていた)見送った後、モーリス・B・ステファンソンとD号に飛び乗った。
ヒュー・ウェルナーは折畳み式D号で生還。
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4:一等船客ジャック・セイヤーの、発砲に関する証言<発砲に関する証言>

1940年、家族と友人向けにプライベートに出版された本の中の、発砲に関するセイヤーの証言。
「右舷側では群集が最後に残った二隻のボートに押し寄せていた。近くには女性の姿は見えなかった。ボートの着水を手伝っていたイズメイは、押し分けてボートに乗り込んだ。本当に利己主義な男だ・・・
勇敢で立派な男、パーサーのH.W.マクエルロイがボートの準備をしていた。ダイニング・ルームのスチュワード達だと思うが、二人の男がボートに上から飛び乗ろうとした。二人がジャンプした時、彼(マクエルロイ)が空に向けて発砲した。私は、彼らにあたったとは思わないが、彼らは急に落ちた。」

ジャック・セイヤーは、チーフ・パーサーのマクエルロイの名前を挙げている。
「イズメイ」の名前からC号の記述とすると、ウェルナー<3>の証言と合致する。
セイヤーは、折畳み式B号で生還。
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5:三等船客ユージン・ダリーの手紙<自殺に関する記述>

三等船客のユージン・ダリーが、事件直後にアイルランドの姉妹に宛てた手紙。
「ボートを下ろしている時、航海士がピストルで『ボートに乗ろうとする奴は撃つぞ』と言って、飛び乗ろうとした二人の乗客を撃ったのを目撃した。その後銃声を聞き、彼がデッキに倒れているのを見た。まわりの人が『自殺したんだ』と教えてくれたが、私には見えなかった。この時海水が押し寄せてきてひざにまで達した。みんな流されてゆき、ボートはもう残っていなかった。私は海へ飛び込んだ」

自殺した航海士が誰かは、ダリーは知らない。
歴史小説家ウォルター・ロードによれば、このボートは折畳み式ボートA号と推定している。
しかし研究家フィリップ・ハインドによればダリーは、A号でなく、それより以前に発進している13号か15号(共に右舷側)で生還している。泳いで、たどり着いたのだろうか?
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6:一等船客ジョージ・レイムスの手紙<自殺に関する記述>

 

「最後のボートが発進した時に、このボートに飛び乗ろうとした乗客を航海士がピストルで撃ち殺してしまった。もうなにもすることが残されていなかった彼は、私たちにこう言った『諸君、みなそれぞれ、自分自身の為に行動してくれ。さようなら』。そして敬礼をし、銃口をこめかみにあてて引き金を引いた。私は思った、彼こそが男のなかの男だと。」

レイムスも、ダリー同様、航海士が誰かは限定していない。
レイムスはA号で生還。

証言5をA号と推定した上で証言6と考え合わせて、ウォルター・ロードは死亡した三人の航海士のうちマードックが「最も近い候補者」としている。氷山追突時に当直であり、結果として回避出来なかった事が背景にあるとしている。ムーディーは「諸君」とは言わないだろう。ワイルドに関しては、情報が少ない。しかしいずれにしても限定はしていない。
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7:一等客室係り エドワード・ブラウンの証言<最後のボートA号に関する証言>

一等客室係、エドワード・ブラウンはボートでの避難・誘導に関してイギリスの査問会でまれにみる明快さで証言をしている。彼は右舷側(マードック担当)で救命ボート5号、3号、1号、C号の着水準備を手伝っていた。(イズメイをC号に乗せたことにも気が付いていた。)
最後に航海士用船室の屋根の上にあるA号をボートデッキに降ろそうとしていたが、押し寄せてきた海水に彼もボートも流されていった。彼は、発砲については何ひとつ述べていない。流されて着水したA号に向かって、浮かび上がった人々が争った、と証言している。

ブラウンはA号で生還。折畳み式ボートA号に関する信頼すべき証言者である。
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8:研究者ジョージ・ベーエによるマードック説

アメリカ・タイタニック史学会の副会長ジョージ・べーエは、「氷山衝突直前の30分間に三度にわたって浮氷警告をブリッジに報告したが、当直のマードックとムーディーに無視された」と見張りのフリートが救助後に複数の人に話をしたという伝聞証言から、マードック説を挙げている。この警告を無視したためにマードックはピストル自殺をしたのだと、相棒のリーと話しているのを聞いた、というのである。
さらにこの早期の警報について黙っていることを条件に、ホワイト・スター・ライン社と裏取り引きがあったのではないかという仮説ものべている。(これは、衝突時に舵を取っていたロバート・ヒッチェンズが、社と取り引きがあったと後に告白した事例によるものであると思われる。)

事前の浮氷警告等、非常に重大な要素を含んでいる可能性がある伝聞証言である。
一方、フリート自身は救命ボート6号で生還、自殺の現場に居合わせて目撃したという可能性は無い。
フリートは77歳で自殺をとげる。事故のことで自責の念を抱いていたのかもしれない。
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9:研究者ジェフ・ウィットフィールドによるワイルド説

消去法によって、マードックとムーディーが船と共に沈み、もし誰かがピストル自殺を遂げたとするならそれはワイルドである、とジブボンスは確信している。
一方イギリスタイタニック協会の研究家ジェフ・ウィットフィールドは、次のような驚くべき説を挙げている。当時発行された「リバプール・エコー」誌に少なくとも1回、「ワイルドがピストル自殺をした」という記事が掲載された。ワイルドの妻は事故当時すでに亡くなっていたが(双子出産直後の1910年12月24日に死亡、子供たちも死亡している)彼女はたいへん裕福な家の出身で、彼女の親戚たちはこの記事が広まることを好まなかった。そしてこの話の矛先が、(そのような影響力を持たない)マードックにむけられていったのではないか、という説である。ワイルドがこの死を嘆き悲しんでいたことが自殺の一つの背景としている。

タイタニックに乗船した当時、ワイルドが妻子の死をどの程度悲観してかは定かではない。
しかしワイルドは少なくともタイタニックへの異動を喜んでなかったし、船に対して「好きになれない・・奇妙な感じがする」と妹への手紙で打ち明けている。ライトラーは(降格されたことで)ワイルドを歓迎していなかったことは明白で、そのことはワイルドのストレスにもつながっただろう。
氷山衝突後ピストルによる威嚇が必要と感じて、武装を提案したのは船長でなく、ワイルドであった。
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10:厨房補佐ジョン・コリンズによる航海士(ワイルド?)説

事故当時17歳であったジョン・コリンズはタイタニックの厨房のアシスタントとして乗船した。彼は船が沈没し始めた時、救命ボートを求めてさまよっていた。左舷側の船尾に残っていた救命ボート16号付近にたどり着いたが、その時には乗ることが出来なかった。この際、16号を担当していた航海士を目撃している。
16号に乗れかなかったコリンズは、数人のスウェーデン人と共に、ボートを求めて反対の右舷側に行った。たどり着いた船首付近では最後のボートに群がる大勢の乗客と、パニック状態をなんとか押しとどめようとしている「3人の航海士」を目撃した。コリンズによれば、「大勢の人々が、まだロープで固定されているボートに押し寄せた。このとき航海士の一人が、ボートに突進した二人の男性に向かって拳銃で発砲した。その航海士は先に救命ボート16号付近でみた航海士であり、船長に次ぐ地位の航海士であった。その後、その航海士は突然拳銃を自分自身に向けた。 」

コリンズは事故直後の査問会の際には、右舷側の最後の混乱や浸水について話をしているが、発砲や航海士の話をしていない。1930年代になってから、知人のアリス・ブレースウェイトに話をした。コリンズは1941年に亡くなっている。彼女がDrアルン・バッジピーにこの話をしたのは1985年のことであった。
タイタニック研究家で作家でもあるイグノア・シェイルは、より多くのコリンズ資料を保持しており、精査した結果、コリンズの証言にある航海士はワイルドである、と結論付けている。

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◆:参考;マードックとワイルド

航海士・通信士以外の「見た」という証言者で、個人的にマードックやワイルドと顔なじみであった人がいない。例えば、水夫でさえマードックとワイルドを取り違えたりしている。エドワード・J・バーリーとフランク・O・エバンスは「救命ボート10号の準備で『航海士長マードック』を手伝った」とし、フランク・オスマンは「救命ボート2号に乗れと『航海士長マードック』が命令した」と言った。(ボート2号、10号は明らかにワイルドおよびライトラーの左舷側のボートである。)
かれら乗組員は、上級航海士のランクは知っていたが、名前はどうであろうか?まして出発直前までマードックのランクは航海士長であった。「航海士長ワイルド」と「マードック」を間違えるのも無理もない。(同様に制服姿のパーサーは、航海士と間違えられても不思議ではない。)
この混乱は、イギリスおよびアメリカの査問会においても見られた。
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