「タイタニックのクルーたち(chie's Titanic Officers)」豪華客船タイタニック(Titanic)の歴史、史実、乗組員、クルー、航海士(特にマードック航海士)機関士・設計士・通信士を紹介。自殺の謎、映画の中の航海士、コレクションなど。by智恵-ちえ-
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◆Millvina Dean Autographed Photo◆

タイタニックの事故の生還者で、現在もご存命のミルヴィナ(ミルビナ)・ディーンさん直筆のサインを入手いたしました。
ここを訪れて下さったタイタニックFanの皆様、又当サイト「タイタニックのクルーたち」を応援して下さる皆様に、感謝を込めてお贈り致します。
(智恵 2007年1月)

  "タイタニック生還者ミルヴィナ(ミルビナ)・ディーン 直筆サイン (A4サイズ 証明書付き)”
(発行元からの証明書には「2002年5月 ノーザンプトンのホートハウスホテルにて
開催されたオートグラフ・ショウにて署名」とあります。) 

 


<ミルヴィナ(ミルビナ)・ディーン>Elizabeth Gladys :Millivina: Dean

エリザベス・グラディス・ミルヴィナ(ミルビナ)・ディーンは、1912年2月2日にイギリスのニューパンプシャー州にバ―トラム・フランク・ディーンとエヴァ・ジョジェット・”エティ”・ディーンの間の長女)第二子として生まれた。
彼女がタイタニックに乗船したのは生後わずか10週間であり、2007年1月現在、タイタニック生還者として生存する二人の生存者のうちの一人である。

両親はパブ宿屋兼酒場を経営していたが、1912年父の家族や友達の住むアメリカ・カンザス州ウィチタへの移住を希望し、パブを売って、タイタニックの3等チケットを手に入れた。新天地でタバコ店を開店させる夢をもって。
当初はホワイトスターライン社のアラビックの乗船券を購入したらしいが、石炭ストライキによって、タイタニックへ振り替えとなったらしい。ミルヴィナ(ミルビナ)は、両親と2つ年上の兄バートラム・ベレ・ディーン(1910年5月21日生まれ)と、1912年4月10日サウサンプトンから乗船した。

母親のエティはタイタニックの船上から、イギリスに残してきた彼女の母にあてて手紙を書いている。
「…タイタニックでの船旅を皆で楽しんでいます。おチビちゃんはちっともじっとしていないよ。…」

事件当夜、まずは父親が船の異変に気がつきデッキに上がって、すぐに船室に戻り母親をゆり起こした。
「温かい格好をして、皆、すぐに外に出るんだ!」
そして救命ボートを目指すが、大勢の人の中、ミルヴィナ(ミルビナ)を抱いた母エティは、夫と息子を見失ってしまう。混乱の中エヴァは救命ボートに乗り込み、夫が息子連れて別の救命ボートに乗っていることを信じていた。エティは最後にカルパチアの船上で息子バートラムと再会を果たすが、夫は帰らぬ人となってしまった。

彼女たちの乗った救命ボートは、10号ないし13号とされる。

カンザスでの新生活の夢を断たれた一家は、エティの両親の元、イギリスのニューフォレスト(サウサンプトンの近く)へ帰国を決意。

ミルヴィナ(ミルビナ)は救出されニューヨークへ行った後、母エティ、兄バートラムと、アドリアティックで帰国の途につく。史上最悪の海難事故から生還した幼い兄弟は、この船上で思わぬ人気者となったようだ。船客たちは先をあらそって可愛がり、抱きあげたり記念撮影をしたりする様子が、新聞でも紹介された(5月12日デイリーミラー誌)ついに航海士のひとりが「おひとり様10分までにして下さい。」と船の航海士が命じるほどであった。

ミルヴィナ(ミルビナ)と兄バートラムは成長しサウサンプトンでそれぞれ学校へ入った。彼女は8歳の時にタイタニック生還者であることを知った。学校卒業後は、結婚はせず、第二次世界大戦の時には政府管轄の地図製作の仕事についたり、その後はサウサンプトンのエンジニアリング会社で働いたりした。そして後年(70歳代前)、タイタニック著名人として、タイタニック・コンベンションや展示会、ドキュメンタリー番組に参加し、熱心に活動を続けている。1977年には、かつて父の、一家の夢であったカンザス州ウィチタへの船旅に、クィーンエリザベス二世号で招待された。

母エヴァは1920年40歳の頃に再婚し、1975年に96歳で亡くなるまで、幸せな余生を送ったようだ。
兄バートラムは結婚し、地元の名士としても活躍、又彼もタイタニック・コンベンションに参加したりインタビューに、非常に熱心に活動をしていた。タイタニック事故が起こった夜から丁度90年後の1992年4月14日に亡くなった。享年91歳。

ミルヴィナ(ミルビナ)は1996年、タイタニック歴史協会の名誉ゲストとして招かれて、初めてベルファストを訪問した。
94歳、現在もサウサンプトン(一説にはノーザンプトン)に在住である。(註:下記<追記>参照)



 

 

<サインについて>
2006年10月、このAutograph(直筆サイン入り写真)を入手しました!
タイタニックのFANになって以来、各地のタイタニック引き上げ展や展示会の話を聞くたびに「いつか本物のタイタニックゆかりのものを見てみたい、手にとって触れる事が出来たら、、、」と願っておりました。
沈没現場から引き上げたいろいろな遺品やタイタニックに関連する品々がオークションで高額で取引される中、一般人の私にはとても無理と諦めていたところですが、今回機会があって「生存者の方の直筆サイン」を入手する事ができました。
ミルヴィナ(ミルビナ)・ディーンさんの略歴は別項の通り、彼女はタイタニック乗船時はまだ10週間の赤ん坊でしたが、無事に助かって本当に良かったです。彼女の命は、彼女自身のものでもあるし、彼女の父親を始め沢山の犠牲者の方の想いを乗せて帰還したわけですから、、、そうして時を越えて私が彼女のサインを入手できた事は、私自身とタイタニックが細く長い道で繋がっているようで、ディーンさんは沢山のサインをしている為に比較的入手し易いという事もあるのですが、わたしにとって「初めて、直接タイタニックに関わる品物」として生還者の方の直筆サインを入手できたことは、非常に大きな喜びであります。

入手でき無事に家に届いた時にはとても興奮して、クリアファイルの上からなんども指でなぞってみました。
「やっと会えたね〜」という気分で、、、
ディーンさんのサイン文字の第一印象は、、、可愛い、、、
文字が丸みを帯びていて、丁重でとてもかわいらしい感じがしました。
文字で心が躍る感動をしたのは、マードック一等航海士の直筆の手紙の掲載されたパンフレットを見て以来です。

そして写真はもちろんタイタニック。
この写真のタイタニックには、沢山の旗が見えます。
出航直前の1912年4月3日はグッドフライデー(復活祭;キリスト復活をお祝いする休日)にあたります。
試運転から帰ってきてサウサンプトンに停泊中であったタイタニックは市民に敬意を表して旗や吹流しで飾られた、という記録があります。今回このサインの入っているタイタニックの写真は、この時のものではないかと思われます。いろいろなタイタニックの写真がありますが、復活祭の旗で飾られたタイタニックのことはどこかの本で読んだ記憶がありましたが、写真として見るのは初めてでした。タイタニックの初のお化粧、晴れ姿ですね。サインも無論興奮しましたが、このタイタニックの姿はなんだかとても嬉しいです!

<追記>
ミルヴィナ(ミルビナ)・ディーンさんは、タイタニック生還者のうち最後の生存者として、後年多くの講演会などに参加されましたが、2009年5月31日、英国ハンプシャー・アシャーストの老人ホームにてご病気によりご逝去されました。97歳。施設の費用のため前年(2008年)にタイタニックの思い出の品をオークションにかけましたが、そのニュースを知ったレオナルド・ディカプリオ、ケイト・ウィンスレット、ジェームズ・キャメロン監督らが彼女に寄付をしたとニュースで報じられましたばかりのことでした。タイタニッを同時代から次世代へと繋ぐ語り部のような役割を果たされる方と思っておりました。ご縁があって彼女のサインを手にすることができた、幸福なタイタニックFANとして、残念な気持ちで一杯です。心よりご冥福をお祈りいたします。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2607490/4214780

 


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